長く愛された旧店舗の懐かしい写真から、芳味亭の誕生、初代の想い、日本洋食の歴史をご紹介します。
旧店舗の紹介
移転前の芳味亭は人形町甘酒横丁の表通りから1本奥に入った、今でも静けさが残る通りにございました。もと呉服屋の建物を改造した店内でしたが、空襲のとき、火の手が一筋手前で止まったため無事でした。その後、増築・改修した店は今ではなつかしい畳敷きに。お客様からは「田舎の実家を思い出す」という声が多くございました。
柳橋や深川の芸妓衆、明治座で公演する俳優や歌舞伎役者などの各著名人からも創業以来、ご愛顧いただき足繁く通っていただいておりました。また、作家の向田邦子さんエッセイ集「女の人差し指」中の『人形町に江戸の名残を訪ねて』と題された短編に記載していただきました。”ここまで歩くとお腹がすいてくる。やはり裏通りの洋食屋「芳味亭」でコロッケとご飯もよし、”とあるように、ご本人もカニクリームコロッケを召し上がられておりました。
芳味亭の誕生
柳橋や深川の芸妓衆、明治座で公演する俳優や歌舞伎役者などの各著名人からも創業以江戸の時代から日本橋人形町地域は歌舞伎役者や芸妓の花街として栄華を極めていました。その中、1933年(昭和8年)に芳味亭(よしみてい)は開業いたしました。開業間もない頃は、お客様の間で「よしみてい」という店名が定着しませんでしたが、お客様同士で呼び始めた「ほうみてい」が徐々に広まり定着していきました。そして今では正式に「ほうみてい」として店名になったという逸話がございます。
初代重晴の想い
横浜のホテルニューグランドでの修業時代、師サリー・ワイスから教わったことは
「お客様が喜ぶものを作りなさい」の言葉でした。
洋食は一昔、宮廷料理として食されていました。庶民の憧れであった洋食を日常の中でも食べてもらいたい。喜んでもらいたい。その一心で芳味亭を人形町に開業いたしました。
レストランには手作りでしか味わえない料理と楽しい時間があります。玉葱や人参、肉、魚など、どこにでもある食材を手間を惜しまず調理することでご馳走にします。朝から晩まで仕込みをして、美味いものができた時は、早くお客様に食べてもらいたい、そして召し上がった時の笑顔を見たくなります。
手作りこそが本物の味、デミグラスソースはご馳走です。
デミグラスソースは4日間かけてようやく完成します。野菜や肉を切って、焼いて、煮込んで、濾して、2日目、3日目も同じ工程を行って、4日目にしてようやく素材の味が引き出せ、野菜や牛肉、ワイン、スパイスなどの幾重にも重なった味わいや香りを楽しめます。これは手作りでしか味わうことができないものです。ぜひ、心を込めて作ったデミグラスソースを味わっていただきたいです。
日本洋食の歴史
日本に西洋料理専門店が初めて誕生したのは江戸時代末期の1863年。長崎・出島(でじま)のオランダ商館でコックや雑務をしながら西洋料理を体得した草野丈吉が、薩摩藩士五代友厚の勧めで長崎に「良林亭(りょうりんてい)」(のちに「自遊亭」→「自由亭」に改称)というお店を開店したのが始まりと言われています。
「良林亭」の値段は1人前が3朱(現在で1万8千円相当)と高額でしたが、奉行所や商人たちが外国人の接待用にと利用し盛況だったようです。当時の「西洋料理」は庶民からすると高値の花の存在でした。現在はグラバー園に移築復元し保存されています。
東京に洋食店の開業が相次いだのは1872年~3年頃。その一つが築地に開業した「築地精養軒」です。西洋料理の中でもフランス料理をメインとし、話題を呼びました。1876年には上野公園に支店を開業。これが現在も続く「上野精養軒」です。この店は、日本人のための本格西洋料理店として人気を博しました。
明治後期頃になると「和洋折衷」の現在の洋食メニューが登場してきます。カツレツやコロッケのようなご飯に合うようにアレンジされたものや、ライスカレーやハヤシライスなどソースをご飯にかけたものなど。これらは「日本の洋食」として親しまれ、とくにカツレツ、ライスカレー、コロッケは大正期には「三大洋食」と呼ばれるほど広く普及していきました。
また、この頃には都市生活者はサラリーマンが主流となり、彼らが実践する西洋式のライフスタイルにも洋食はマッチしていきました。関東大震災の翌年「須田町食堂」が神田に開店。この店は洋食を廉価で提供する大衆食堂の走りで、すぐさまチェーン店化するほどの活況を呈しました。都市化の進展とともに、洋食は身近で手軽なものへと定着していきました。
- 1863年
- 長崎で草野丈吉が初の西洋料理専門店「良林亭」を開業
- 1863年
- 東京初の西洋料理店「三河屋」開店
- 1872年
- 東京築地に「精養軒ホテル」開業。
欧米来賓を応接できるレストランとホテルとして建設された。宮内省に洋食を作れる部門がなかった時代、宮内省へ料理を納める、宮内省御用達店の代表の一つ。 - 1876年
- 「築地精養軒」が上野に支店を開業
- 1876年
- 横浜「グランドホテル」が日本最初のフランス料理店を始める
- 1883年
- 明治政府により「鹿鳴館」開館。
オランダ公使館で外国人シェフのもとで修業した経験を持つ藤田源吉が料理長に就任 - 1890年
- 東京丸の内に「帝国ホテル」開業。
「帝国ホテル」の料理の基礎を作ったといわれるコック、内藤藤太郎は日本の西洋料理史上、最大の巨星の一人として知られている。 - 1895年
- 東京銀座に洋食屋「煉瓦亭」開業。ポークカツレツ発祥
- 1897年
- 東京の洋食屋が1500店を超える
- 1901年
- 東海道線に食堂車が入る。社内で出された料理は「精養軒」の洋食だった。
- 1903年
- 東京日比谷「松本楼」開業
- 1907年
- 東京神田に洋食屋「松栄亭」開業
- 1910年
- 横浜「不二家」創業
- 1912年
- 東京日本橋「小春軒」開業
- 1925年
- 東京根岸「香味屋」開業
- 1928年
- 東京銀座「資生堂パーラー」開店
- 1930年
- 日本橋三越「お子様ランチ」登場
東京銀座「つばめグリル」開店 - 1931年
- 日本橋「たいめいけん」開店
- 1933年
- 日本橋「芳味亭」開店
- 2018年
- 「芳味亭」甘酒横丁に移転